日本人がDAOに参加すべき本当の理由

ポイントブロックタイトル

(※本稿は、前回の記事からのつづきである。)

現在日本ではDAO(自律分散型組織)の法制化に向けた動きが進んでいる。
dYdXという分散型取引所のDAOガバナンスをサポートする仕事をしている身としては、どんな形であれDAOが日本で盛り上がることは歓迎している。ただ、AaveのDAOのデリゲートなどで活躍するLide氏が指摘するように、筆者もDAOの法制化についていささか拙速な印象を持っている。

DAOとは何か?


という根本的な問いに対する答えが出ていない問題を置き去りにして法制化を進めたい背景にはどのような思惑があるのだろうか。それは筆者には分からないが、最初のズレを後から修正するのは大変だ。
イノベーションを先読みすることは難しいので、DAOの真髄が分かるまでは「あえて曖昧」にしたまま歩みを進めていった方が良いのではないだろうか。


・「スマートコントラクトを使っていない」
・「トレジャリー(DAOが持つ資金)がない」
・「中央の組織の権限が強すぎる」
・「結局サークルと変わらないのでは?」

など、日本の「DAO」に関して取り上げれば様々な角度から突っ込めるのかもしれないが、上記のような各論は次回以降に譲ろう。

今回は、一段上の概念レベルで、「日本のDAO」と、筆者が思う「本来の意味におけるDAO」の違いについて解説したいと思う。

アメリカ大陸という「新しい世界」の発見

17世紀頃、欧州人がアメリカ大陸を目指して航海し、アメリカの植民地化を進めていった話をみなさんはご存じだろう。イギリスのピルグリムがメイフラワー号に乗って数十日間という厳しい航海の末、東海岸にたどり着いた話は有名だ。

なぜ、欧州人はアメリカを目指したのか?

主な理由は、「宗教の自由」と「経済の自由」を手に入れるためだ。

メイフラワー号の船員は、母国イギリスで宗教的迫害を受けていた。
また比較的宗教の自由があったとされるオランダからもアメリカを目指した人々がいる。経済の自由のためだ。
当時のオランダではピルグリムは農民として貧困生活を送っており、長時間の労働に低賃金に苦しんでいたという。彼らが米国に渡った理由は、現在の「アメリカンドリーム」に象徴される経済的な成功だったのだ。

母国における信仰のしきたりや経済的な状況を変えることは難しい。
・「国ガチャ」の運命は受け入れなければならないのか?
・精神の自由と経済の自由のない生活を、果たして、人間らしい生活と言えるのだろうか?
そこにもし、白紙ベースでゼロからやり直しが可能な世界があったらどうだろうか?それこそが、米大陸という新しい世界(New World)の発見だったのだ。

(メイフラワー号、Wikipediaより引用)

問題は、今の世の中には当時の新世界のように未開拓な場所がないことだ。現代人は国ガチャを受け入れなければならないのだろうか?

答えは否だ。
筆者の提言は、現代人は新世界としてDAOを目指すべきというものだ。

DAOという新しい世界

日本の多くの人と異なる解釈かもしれないが、DAOとは、既存の世界とは非連続的な「新しい世界」の話なのだ。
DAOの住民とは、現実世界のどの国や企業にも属さない人々だ。Web2がWeb3になれば、2が3へと進むように既存の世界が進化(evolution)するという印象を持つ人がいるかもしれないが、そういう訳ではない。
DAOとは、完全な分裂、もしくは革命(revolution)の話なのだ。
このため、筆者はWeb3という言葉があまり好きではない。本質を表せないからだ。

分散化(Decentralization)は、既存の組織が進化するために生まれた訳ではない。真逆だ。分散化は、既存の世界秩序に何らかの不満を持つ人々の集まりなのだ(例:ビットコインvs中央銀行)。
既存の世界は、既得権益を持つ中央集権的な巨人によって支配されており、文字通り、未開拓の領域はもうない。そこで何か新しいことをやりたい時、どうすれば良いか?既存のプレイヤーが決めたルールに従う必要があり、根本的に変更するのは困難だ。

分散化の運動は、ある意味で現状に対する挑戦状なのだ。
真っ向から既得権益を否定する訳だから、米国の一部の人々がDAOを公然と使用することをためらうのは不思議ではない。こぞってブランディング目的で使用する人が多い日本とは大きく違うのがわかるだろう。

日本は1億2000万人の人口を持つ島国だ。日本人は、日本国外で生まれた革新的なアイデアを独自の方法で解釈することがよくある。過去にはそれで成功したこともあるし、失敗したこともある。DAOもこのアプローチの例外ではない。
日本におけるDAOは概ね「進化(evolution)としてのDAO」を指すと思われる。日本では多くの人々が、DAOを革命や新しい世界の創造とは見なさず、既存の世界の延長線上にある進化と見なしている。
多くの既存の機関や地方自治体が積極的にDAOをブランディングとして使っているのは上記の理由からだろう。彼らがDAOから期待していることは、既存の運営の効率化・透明性・財務の改善だ。

ちなみに筆者は、アナーキストでも現世の否定論者でもない。
日本の食事は大好きだし、治安の良さ・クリーンさ・四季・自然・文化と世界に誇れるものを多く持っていると思う。
本来の意味のDAOを採用したとしても、それがすなわち現実世界の否定にはつながらないと考えている。つまり新しい世界のDAOと現実世界は、並行して存在するのだ。

同一人物が、新しい世界で生活することもあれば(例えばビットコイン取引をLedgerで行ったり、Arbitrum DAOに参加したり、検証ノードを運営したりする)、現実世界で生活することもある。
もしかしたら、人には複数の人格があるのかもしれない。これがクリプト業界が偽名性を好む理由だ。

日本人が本当の意味でDAOに参加すべき理由

日本のDAOがとりわけはまっていると思われる分野は地方創生だ。
少子高齢化が進む中で、DAOが新たな自治体のあり方を示す起爆剤になるのか。筆者は否定しない。議論のいく末についてそれはそれで楽しみにであるし、しっかり注目したいと思う。

ただ本来の意味におけるDAOは、とりわけ日本人にとってなぜ必要なのか?
について考えてみたい。そこでキーワードになるのは、ピルグリムたちと同じ「宗教(精神)の自由」と「経済の自由」だ。

まず、「経済の自由」について

多くの日本人は、大学を卒業して新卒で就職して一つの会社に長い間勤めるという人生を送っていると思う。今でこそ終身雇用が常識ではなくなり、転職組も増えてきているが、30代後半の私の周りにはいまだに一つの企業に終始する人が多いように思う。

理由は人それぞれだろうし、それは自由だ。
ただ、もしも不本意ながら一つの会社に固執しなければならない状態であり、長時間労働と低い給料のダブルパンチに苦しんでいるならば、あなたは17世紀のオランダのピルグリムたちと同じ境遇かもしれない。

・会社を変えることはできるのだろうか?
・高齢社員が居座る会社のしきたりに自分の人生、どこまで付き合うわなければならないのか?

疑問に思うのであれば、一緒に新しい世界=DAOを開拓しよう。

もう一つは、宗教(精神)の自由について

まだ日本では顕在化していないかもしれないが、米国ではポリティカル・コレクトネス(ポリコレ、政治的妥当性)を盾に言論統制を自主的に行う人々が多い。そういう人々は、「Woke(いわゆる意識高い系を冷ややかに見る表現)」と言われている。
表立っては言いにくいが、Wokeがのさばる米国に嫌気が差してきている人々が少なくない。隠れトランプサポーターが多い理由だ。

彼らの行き着く先も、結局は新しい世界=DAOになるのだと思う。
上記の流れがどのような形で日本に来るか(もしくは来ているのか)、筆者はもう少し注意深く観察したいと思っている。

筆者は、本当の意味におけるDAOは、今、日本において精神的・経済的に苦しんでいる人々を救えるかもしれないと思っている。

まとめ

・日本のDAOに関する動きは、法制化に向けて進んでいるが、筆者はこの進展に対して慎重な立場を取っている。
・DAOは本来、既存の秩序に挑戦する「新しい世界」を目指すものであるが、日本ではこの革命的な側面よりも、既存の世界の「進化」として捉えられていることが多い。

・特に地方創生の分野でのDAOの利用が注目されているが、その本質的な意義は日本独自の解釈によって変化している。

・筆者は、日本人にとってのDAOの真の必要性を、精神的・経済的自由の観点から考察し、新しい可能性としてのDAOの役割について強調している。この文脈では、DAOは単なる技術的進歩ではなく、より深い社会的・文化的変化を象徴するものとして位置づけられている。


▼前回の記事

大木 悠寄稿者|Japan Lead, dYdX Foundation

投稿者プロフィール

早大卒業後、欧州の大学院で政治哲学と経済哲学を学ぶ。その後、テレビ東京のニューヨーク支局に報道ディレクターとして勤務。日本に帰国後、2018年6月にコインテレグラフジャパンの編集長に就任。2020年12月にクラーケンジャパンの広報責任者に就任。2022年6月より現職。Ledgerの日本マーケット展開のサポートもしている。

この著者の最新の記事

関連記事

コメントは利用できません。

Pickup Event

ピックアップ記事

ページ上部へ戻る